ようこそ皆さん 少しでも古文書に興味のある方大歓迎です。今日は6月14日の勉強を共有します。
「閏8月5日付 長宗我部元親書状(徳島市立徳島城博物館所蔵)」です。
時代背景:信長は四国長宗我部への対処役を明智光秀に命じました。やっと何とかなりそうかな?という時信長は長宗我部の征伐を決定し、顔をつぶされた怨念で光秀は本能寺の変(天正10年 1582年)を起こしたと噂されています。
その後秀吉は天正13年(1585年)四国討伐を行い、この手紙の2か月程前7月25日に長宗我部元親を降伏させました。取り潰されると思いきや、この手紙にありますように土佐一国を安堵され嬉しさ100倍。「殿下様(秀吉)の寛宥な処置は貴所取合故存候」と感謝感激雨あられの状態です。
後日譚:殿下命?は関ケ原の戦い(慶長5年 1600年)で息子の盛親は西軍に参加し一発覚えめでたき戦果を期待しました。豈はからんや哀れ敗戦となり家康に呼出を食らい、改易となり明治になるまで辛酸をなめることとなりました。
今日のポイント:①手紙の文字②予習ノート③板書を添付します。特に②は本邦初公開 私 山本の予習ノート(手紙から鉛筆でなぞったつもりの文字+紺色は先生の板書をなぞったつもりの文字+赤色は対応文字)です。何!!汚くって分からない?お怒りもご尤も・・・。人間長~くやっていても一つや二つ直しきれないものはありますよね。今回そんな私でも古文書の学習にきているんだと反面教師を演じています。平にご容赦ください。
①でピンクに塗られた部分③の板書、更に②のノートを比べてください。板書の文字「取合」「故」「存」「證人進置」「向後」「猶以」「指南」等々 しびれるような滑らかさ 美しさ トレビアン。
そんな こんなで興味のあるかたはご覧ください。
次回の勉強会:7月12日(火)9:00~12:00 於:生涯学習センター第4集会室
連絡先:080-1384-5871 山本 (文責も同)
なお同時に勉強しております「五人組」は7月初めにUPします。有難うございました。